2月中旬、受験シーズン真っ只中ということで、今日は学歴社会について思うことを書きたいと思います。
「Wakatte TV」って知ってますか?武田塾のフーミンが様々な大学に行って、その大学について独自の視点で語るYouTubeチャンネルです。くだらないと感じる人もいるかもしれませんが、なぜか見てしまうんですよね。
大学で何を学んだのかが重要だという意見もありますが、それは当然のことです。特に理系の場合、自分の専攻分野が活かせそうな企業を選ぶのが一般的です。化学系の企業であれば有機化学を専攻している人が多いですし、自動車メーカーなら工学部出身者が多いといった具合に、企業側が判断するまでもなく、自然とそうなっています。あくまで理系の話です。
そうなると重要になってくるのは、やはり大学名です。多くの人は小学校から勉強を始め、大学まで勉強すると仮定すると、6 + 3 + 3 + 4 = 16年間勉強していることになります。大学入試までの勉強期間は、人生における勉強期間の4分の3を占めています。しかもこの期間はほぼ毎日学校に通い、1日6〜8時間勉強し、帰宅後も勉強する人が多いはずです。その期間で最も多くの時間を費やしているのが勉強なのです。
つまり大学入試は、単なる入学試験であると同時に、高校卒業試験という意味合いも持っていると言えるでしょう。12年間、何の役に立つかわからない勉強を辛抱強く続けられる人は、貴重な存在ではないでしょうか?
学歴の高い人には2つのタイプがいると思います。元々頭が良い人か、努力によって課題を何とかこなしてきた人かです。
現在の日本の価値観は、少しブレているように感じます。かつては、能力がなくても努力でカバーする人は素晴らしいと評価されていましたが、ひろゆきやホリエモンなどが努力を否定的に発言する影響で、努力することがカッコ悪いという風潮になっているように思います。個人的には、これは良くない風潮だと感じています。
学歴だけでは測れない能力は数多くありますが、ここでは会社で必要な能力に絞って考えてみましょう。まず、コミュニケーション能力が挙げられます。
なぜなら、コミュニケーションは言葉によるキャッチボールが必須ですが、受験勉強ではそれができなくても突破できてしまうからです。具体的には、国語の勉強がその典型例と言えるでしょう。私も国語を軽視してきたために痛い目に遭いました。理系における国語は、選択肢の中から答えを選ぶ形式が多く、テクニックである程度対応できてしまいます。文系にしても、答えが用意された中での作文です。しかし、実際のコミュニケーションでは、自分の考えを言語化し、相手に伝えなければなりません。これがなかなか難しいのです。
英語に例えると分かりやすいかもしれません。中学校から大学まで10年間も勉強しているのに、英語を話せる人は少ないですよね。単語もわかるし、論文なども読めるのに、駅で外国人に「どの電車に乗れば良いか」と聞かれただけで、一言も出てこない。これはかなり異常な状態だと思います。
もう一つ重要なのは、基本的な心理学の知識です。相手が何を考えているのか分からないことはよくあります。分からないこと自体は問題ありませんが、自分の価値観で他人も行動していると誤解してしまうことが問題なのです。
私も最近までそれがよく分かっていませんでした。だからすぐに行き詰まり、周りからは「おかしい人」と思われていたかもしれません。心理学を学ぶ機会があり、「人の考えていることなんて、分からないことの方が多いんだ」と気付いてから、人との距離感が分かるようになりましたし、人間関係も少しスムーズになった気がします。
自分の物差しで考えないことは、とても重要なことだと思います。
学歴はそれほどでもないのにすごく仕事ができるとされている人たちは勉強だけ極端に興味がなかったか、コミュニケーション能力がずば抜けて高いかです。
これは主に親や周りの大人たちの影響が強いでしょうね。学校じゃ教えてくれませんから。いっくら本読んでも身につきませんよ。そもそも私のようにそういうのがそんなに好きじゃないタイプの人間もいますしね。
私が一番見直すべきだと思うのは、小学校教育です。
特に、中学校受験のようなクイズ王養成のような教育はやめさせたいですね。それで精神的に病んでしまったら、本末転倒です。
理想を言えば、読書感想文や自由研究といった夏休みの宿題で子ども達が嫌がるトップ2を、大人が一緒に取り組む(レスポンスしてあげる)ことが良いのではないかと思います。
そうすることで、思考を整理する癖がつきますし、圧倒的にアウトプットする癖も身につきます。
しかし、受験でそれを評価するのは大変ですね。採点者側が圧倒的にレベルが高くないといけませんし、多様な回答に相対的に点数をつけるのは相当難しいと思います。というか、不可能に近いでしょう。
では大学受験はどうでしょう?文系の最難関資格である司法試験や、理系の最難関資格である医師国家試験が、超絶的な暗記試験であることを考えても、大学受験がある程度暗記科目になるのは致し方ないかと思います。
これは関係ないと言いたいところですが、残念ながら、関係があります。
これは非常にデリケートな問題だと思いますが、非常に重要なことです。そして、頭の良さは意外と努力しても変わらないものなのです。逆に、これを認めないと辛い場面もあります。すべてを努力のせいにしてしまうと、「能力が低い=努力不足=怠けている」と誤解してしまう可能性があるからです。
部活などでもそうでしたよね。別に努力している人がレギュラーになれるわけではありません。やはり、素質というものはある程度存在するのです。
最近、知り合い以外の方も見てくださっているようなので、少しぼかして書きますが、私の学歴についてもお話しします。
私の両親は高卒ですが、特に母親は学歴に強いこだわりがあり、今思えば教育虐待の気質があったように思います。
私が幼い頃、「僕らの7日間戦争」という映画が流行しました。いわゆる受験戦争をテーマにした映画なのですが、それが社会現象になるほど、受験戦争はあって当然という時代背景でしたので私の母親が特別というわけではないかもですね。
最近では受験戦争が若年化してるんですかね?それはそれで可哀想です。
小学校
私は関東の片田舎で育ったので、小学校では漢字の書き取りや読書といった基礎的な学習しかしていませんでした。読書が好きだったというよりは、読書をしている間は母親が静かになるから読んでいた、という方が近いかもしれません。小学校の勉強は簡単だったという印象があります。
中学校
中学校に入学した時、地元から電車で数駅先の「山田義塾」という塾に通い始めました(なぜか私が入りたいと言ったという形になっていますが)。私と同世代なら知っている人もいるかもしれませんが、いわゆるスパルタ塾です。今で言うとSAPIXのようなものかもしれません。塾というよりは軍隊のようでした。
夏期講習では、バブル後期ということもあり、志賀高原で集中合宿がありました。関東一円からバスが20台くらい来たのでしょうか?今思うと異様な光景です。大人になって志賀高原にスキーに行ったことがありますが、おそらくかなりの数のホテルを貸し切ったのだと思います。
その頃は周りがそのような環境だったので、勉強はゲームのような感覚でやっていました。相変わらず母親の締め付けは厳しかったです。地元の公立中学校に通っていましたが、学校は休憩時間のような感じでした。授業中は暇なので、家から持ってきた問題集を隠れてやっているような感じでした。そうでなければ、周りの人と雑談をしているような感じだったので、先生によく怒られていました。特に部活は苦痛でしかなく、手を抜きまくっていたので、顧問の先生との相性は最悪でした。
そんなこんなで受験をしたのですが、当初は公立高校を目指していて願書も提出したのですが、途中で嫌になって取り下げてしまいました。いくつか理由がありますが、一番大きな理由は内申書です。内申書が悪かったというわけではありません。一応、学級委員などもやっていましたが、それが屈辱だったのです。もともと私は集会委員会という委員会が好きでやっていたのですが、先生が「内申のことを考えると学級委員をやった方が良い」と言ってきたので、渋々やっていたのです。でも、そんな自分と先生が許せなくて(その頃は先生を下に見ていました。そんな人に評価される筋合いはないと勘違いしていたところもあります)、結局、私立高校しか受けませんでした。そして、トップ層が滑り止めとして受けるような高校に入学しました。(当時の偏差値で60代後半だったと思います。)
高校時代は暗黒時代でした。男子校だったこともあり、周りの人たちが楽しんでいる様子が羨ましかったです。最初の方はちゃんと勉強していたので選抜クラスに入りましたが、このあたりから徐々についていけなくなりました。どんなクラスだったかというと、トップの人は東大に合格し、京大に合格した人もいました。クラスの半分くらいが早慶や旧帝大に進学するような感じでした。高校全体で言うとそんなことはなく、平均的な人はMARCHに行く感じだったと思います。
相変わらず家庭環境も不安定で、精神的にも不安定な状態が続き、勉強自体が嫌になってしまいました。高校2年生の途中からほとんど勉強しなくなってしまいます。高校3年でも1日1時間くらいしか勉強していませんでした。そんな感じだったので、受験の時は数III数C(今でもそう言うのでしょうか?)を使わない(それで理系と言っていいのか疑問ですが)学部を受けました。
勉強していないくせにプライドだけは高かったので、現役の時は旧帝大を1校だけ受けました。当然、落ちました。(言い訳をすれば、今は書きたくないのですが、家族の裏切りもありました。)
浪人時代
一応、浪人することになるのですが、通っていたのは東京の四谷にある駿台予備校でした。電車だけでも片道2時間くらいかかる場所です。しかし、ここでもほとんど勉強せず(1日1、2時間くらいは勉強していましたが)、出席のカードリーダーだけ通して近くの公園で時間を潰して帰るような生活でした。本当にダメ人間だったと思います。
散々自堕落な生活をしていたのに懲りずに、また旧帝大を受験しました。さすがに浪人の時はいくつか私立大学も受験しました。旧帝大は当然落ちましたが、後期試験で地元の国立大学に合格しました(レベル的にはMARCHくらいの大学です)。高校の人たちとは、それが恥ずかしくて、だんだん疎遠になってしまいましたね。
最初は不満だらけで入学した大学でしたが、4年間本当に楽しかったです。今とは違うかもしれませんが、出席なども厳しくなく、レポートで単位が取れる科目を集中的に履修しました。そのため、大学には最低限しか行っていません。感覚的には週に2回くらいですかね。1限目に出席して4人集まれば雀荘に行くような生活です(途中からメンバーが集まらなくなり、一人で行くようになりましたが)。一応言っておくと、真面目な人が多く、性格が良い人が多い大学であることは確かです。
そうしているうちに4年生になってしまったのですが、相変わらず何も考えていませんでした。しかし、夏頃になると周りが勉強をし始めたのです。聞いてみると、大学院に行くというではありませんか。当時は今ほど大学院というものが一般的ではありませんでした。就活もしていないし、「大学院ってかっこいいな」というだけの動機でした。気づいた時には受験まで2ヶ月を切っていましたね。そこから慌てて勉強を始めました。さすがにその1ヶ月半は1日6時間くらい勉強しました。それで一応、自分の大学の大学院に合格することができました。東大の大学院も受けてみたのですが、面接で「あと10点足りなかった」と言われましたね。半年くらい勉強していれば学歴ロンダリングできたかもしれません。
大学院というのは特殊な場所で、いわゆる研究室と呼ばれるところです。イメージとしては会社のようなものです。自分の席があり、一応コアタイムのようなものがあるのですが、「なんとなくその時間は研究室にいましょう」といった雰囲気です。自分のテーマを与えられ、それをひたすら続けるという感じです。授業がないわけではありませんが、授業というよりは各研究室の先生が自分の研究テーマを発表するような形式です。
基本的には毎日行かないとバレてしまいます。人数が少ないですし、席もあるので言い訳はできません。家が近い人などは、実験の合間に家に帰ったり、日曜日でも暇だからと研究室に出てきて実験したりと、私生活との区別が曖昧になってしまいますね。そこで2年間(修士課程)を過ごします。それなりに楽しかったですよ。やはり理系なら大学院に行かないと、本来の大学の意義(職業訓練校じゃない)はわからない気がします(散々サボってそれいうなって感じですけど)。
結論から言うと、就職活動は大失敗でした。というか、失敗にすら該当しないかもしれません。
学歴のところで書いたように、大学時代は割と適当に過ごしてしまい、就職活動についても同じでした。周りが就職活動を始めたのを見て「ああ、もうそんな時期なんだ」と思っていたら、早いところはすでに内定が出ていて、慌ててインターネットで検索してエントリーしました。全部で5社くらい受けたでしょうか?誰もが聞いたことのある企業ばかり受けました(今なら四季報を読んで厳選できますが)。その時は研究職を希望して受けましたが、惨敗しました。就職氷河期で、3人程度の募集に対して500人くらい応募者が来るような状況でした。面接会場に行くと、右も左も東大の大学院生ばかりで、私は志望動機すら考えて行っていませんから、まず受かるわけがありません。
今思えば、かなり失礼なことをしていたと思います。
もう諦めて博士課程に進学しようかと思っていた時、あるベンチャー企業から内定をもらうことになります。
そこで働くことになり、2年でその会社は倒産するのですが、その話は長くなるので、また別の機会にしたいと思います。
その後、転職で今の会社に入るのですが、そのベンチャー企業でやっていた内容が良かったのと、当時大学院卒が珍しかったこともあり、採用してもらえたのだと思います。
後にも先にも、学歴が役に立ったのはこの時だけですね。